≪喜びが作り出す健康体≫

 ≪父親の喜び≫

 昔、子供だった自分。

 まわりの大人は、とても遠い存在。

 大人も30代にもなると、寄せつけぬ貫録さえ感じていたはるかに遠い存在。そう、確かにそう見えていた。自分の父親も、50代になろうものなら、その浅黒く苦労を重ねた顔はしわも増え、もう、老人の扉を開いていた。

  盛んに「疲れた!」を連発していた父親。私が就職する頃には、すでに働く意欲も消えていた。もともと質素な生活に慣れていた両親には、まとまったお金も日々の生活費もほとんどいらなかった。子供が巣立てば働く必要性もなかったのであろう。

  いま思い出せば、この頃からであった。

   「疲れた」と繰り返し、また「自分は苦労してきたから、長くは生きられない」と、何度も私に伝えていた父。就職を関東に決めていた自分。ただただ、親元から遠く離れて一人で生きていく決意をしていた自分。父親は私をそばに置きたかったのであろう。この先の、何か言い知れぬ、一抹の不安を感じていたのかもしれない。

  親元を離れていく私のことではなかった。それは私の両親と、実家に戻ってきた長男夫婦との関係だと、私ははっきりと認識していた。しかし、両親も含めて私がいなくなった生活に、何が待ち受けているのかを知る者はいなかったのである。

  気がつけば、私は物心のついた幼少より「縁の下を支える役目」を果たしていた。私が悪者になり、私さえ我慢をすれば、すべてがあたかも自然であるかのように流れていた。その生活に疲れきっていた私は、自分の就職を「絶好の機会」と感じていた。

  そして、就職。

  後々考えれば、それからの父親の楽しみは、お盆と正月の「私の帰省」だけであったであろう。帰省の度に見かける父親の姿には、昔の明治の大人の威厳も強引さも消えていた。

  年々、見る影すら薄まる父親の姿。でもこちらに戻って暮らすわけにはいかない。札幌に戻れば、私の人生はつぶれてしまう複雑な事情があった。

  私は帰省の度に、父親を車に乗せて、近所をドライブして回った。その時の父親の喜びようは尋常ではなかった。本当に嬉しそうである。話を聞くと実家に両親と住む長男は、ただの一度たりとも、父親のために車を動かしたことはなかったようだ。分かってはいたが。父親は長男のために車を2台買い与えていた。生活費という名目で、当時の私の初任給の2倍以上のお金を毎月渡していた。その金額は、札幌の給与水準からいうと4~8倍にもなっていた。

  私は、両親の長男夫婦に対する扱いに、いつも反対していた。でも両親は私の言葉に、耳を傾けることはただの一度もなかった。両親は長男をなぜか溺愛していた。私の目の前には、いつも長男におぼれている両親がいた。

  帰省の度に薄れていく父親の影。

  そんな、父親を見るのは忍びなかった。でも、異常なまでの長男への溺愛は変わっていなかった。そして長男の嫁は頭が良かった。いや、ずる賢かった。いやいや常識では語れない異常な性格の持ち主だ。この嫁と、わがままし放題で呑気に育ってきた長男。最強である。なぜこんなことを書くのか、それはこんな夫婦と生活する両親の心を考えてほしかったからだ。多分、このことを書籍に書いたなら長編小説になるであろう、しかも、「逆おしん状態」の父親。

 子育てが終わった父親には、残りの人生を生き抜く楽しみがまるでなかった。

 昔、お盆や正月の飛行機のチケットは、発売と共に売り切れていた。当然、手に入れるためには、相当の時間を並んで待たなければならない。聞くところによると、父親はチケット発売の前夜より並んでいたようだ。働いている私に、手に入れることの出来なかった飛行機のチケット。

 死ぬまで、飛行機のチケットを買い続けた父親。

 それだけが生きる目的。

 それだけが生きがいと考えている父親。

 何で分かるのか?

 そんな、簡単な意識が読めなくては、生きては来れなかった私の人生。

 いつかは札幌に戻って、両親を喜ばそう。

 でも、まだ戻れない。

 

 ≪喜びと健康≫

  介護、介護法、介護保険など新聞を開くと、有料老人ホームや高齢者サービス付きマンションなど、たくさんの見慣れた広告が溢れています。いつから人は、こんなに老け込むようになったのでしょうか。介護を必要とする人の多さに驚きを覚え、年寄ではない老人が、増え始めているような気がするのは私だけでしょうか。

 それに反して、60代でも70代でも若い人は格段に若い。人によっては80代90代でも、一昔前では想像さえ出来なかったバイタリティーがある。よくよく考えると変ですよね。いつしか、老化の「年齢的な根拠」は、薄らいでいるように感じる次第でして。

 世の中、不安、不安。将来は不安と感じる人はどれほどいるのだろう。

 「消えた年金」に代表される世の中。

 年金が消えて、責任を取る者も誰ひとりとしていない日本の国。

 豊かなのか、バカなのかは分からない。

 多分、自分のこと以外には関心が薄いのであろう。

 でも、同時に年と共に薄らぐ社会との関わり、それは即ち、人との関わりの希薄さを作り出す。そんな生活スタイルに「どんな楽しみ」があるのであろう。人々が自分の未来に望むものは何であろうか。

 私は、よく「若い」と言われる。考え方も、自分で言うのも何であるが、とても柔軟。考えていることもやろうとすることも、20代の時とさほどの違いはない。もちろん、表面的な言動はまるで違うが、思考の源泉が共通している。当然、同世代と会話が成り立つはずもない。

 でも、毎日が楽しいのだ。実に楽しいの一言に尽きる。しかし、視力は落ち前も後ろも見えない。だからといってさほど困ってはいないし、病院に行こうとも思わない。多分現在の私のこの視力だと、障害者手帳がもらえるだろう。

 そう、毎日が眠るのが惜しいほど楽しいのだ。だが、病院で健康診断を受けると、間違いなく糖尿病と診断されるであろう。

 なぜ、医者でもない人間が、何の検査もせずに病気を判断出来るのかと言う人も多いだろう。世間的にはね。

 でも、あえて言おう。

 「そのくらいのことは、自分の体だから分かるでしょう。むしろ、分からないと思う人の方が、私には理解が出来ない。」とね。

 「人はなぜ自分のことを、こんなに分からなくなってしまったのであろう。実に不思議な現象だ。」とも思う。

 そう、私が本当に言いたいことは、自分の健康は、自分で切り開く意志がなければいけないということだ。なぜなら、「何から何まで人任せであれば、楽しくはないだろう」と思うからだ。

 喜びは自分で作り出すもの。他者から与えられるものではない。もし今のあなたが、誰か他者から「楽しさを与えられている」のであれば、あなたは大変な幸運の持ち主だ。深く感謝し、大事に大事にすると良い。

 多分、今の私と同じ健康状態であれば、落ち込んだり、卑屈になったりするのが普通だろう。でもそれで、何が変わる。いくら嘆いてみても、いくら心配して心を痛めてみても、何一つ良い方向に進むわけはない。だからといって、不健康な生活を推し進めているのではない。

 そう、私も健康体に向かって毎日進んでいる。

 何度も失敗するであろうが、自分で作るのが自分の人生。何に縛られることもなく。

 だから、楽しいのだ!

 誰より楽しい人生は、生きる目標だらけ。

 時間だけが足りない。

 

  ≪生き甲斐の行先≫

 生き甲斐は、人それぞれ違う。日々の過ごし方も楽しみ方もしかり。しかし、年月と共に誰もが経験し始める老化の“ささやき”。

 それはいつから始まっていたのであろうか。気づかぬ間に、ここまで来ていたと感じる瞬間である。

 それまでは、まだまだ“若い”と感じていた自分。確かに自分の考える“年寄り” までには程遠く感じ、老化とはまるで他人事のよう。無意識に、本当の老化は何十年もの先であるように思っていた。その時までは、何一つと具体的に、老化を感じたことはなかったし、老化を考える必要性も何も存在してはいなかった。ただ単純に「年齢だけが年をとっている」と、思っていた。

 たぶん、初めは冗談も混じっていたのであろう。

 「いやぁ~トシだな~」

 そんな一言。

 あまり気にもかけずに使っていた一言。

 いつしか、「冗談」の部分が、本人も気づかぬ間に消えていた。まさに老化のささやき。でも、それはもう決して“ささやき”の類(たぐい)ではない。

 毎日が同じことの繰り返し。

 時間に追われることはない。

 さほど、時間を気にする必要もない。

 薄れゆく物事への関心。時間とは生き抜く時間そのもの、生活に追われ、仕事に追われ、お金に追われ、まともに人生など考えている暇もなかった。気がついて我に返ると、自分のまわりには誰もいない、おまけに欲しい物すら何もない。誰も本気で自分のことを気にしてはいない。

 身内。

 それは、永遠に続く“安心の気綱”であると、どこか心の奥底で信じていた。信じていたというより、疑うことすらなかったのだろうか。

 少しずつ変わって来たと感ずる、親子関係。

 少しずつ生まれていた、親子の距離。

 まったく気づかずに進んでいた、親子の価値観のずれ。

 そう、子供もいつかは大人になる。親が知らぬ間に年をとっていた。当然、自分自身の心配のウエイトが増し、変わり始めた子供の都合には、まるで関心が薄い親。

 未来という、先の見えない老後への不安。目標を失っていることに気づく者は数少ない。目標のない未来とは、行先の決まっていない小船に乗っているのと同じ。しかも、羅針盤もレーダーも、まともな「考え」という舵さえもない小船。波に漂っているだけとは気づかず、本人は人生を操作していると思っている。

  老後の人生とよく似ている。

  人と人の距離感は、それぞれの都合を中心に位置が決まる。埋まることのない距離の溝。それだけが「生き甲斐」であった。

 

  ≪生き甲斐は自分の中に≫

  知らぬ間に作り上げている生き甲斐。知らぬ間に作られた生き甲斐は、知らぬ間に消えてしまう。人の価値観はいつかは変わるかもしれない、老後の生き甲斐など考える人は少ないのかもしれない。でも、生き甲斐のない人生の終着点は明らかにむなしい。生き甲斐は自分の中にあるもの。いや、むしろ自分自身が見つけ出さなければ。

 どんな未来も、自分が選び、作り上げた人生であることを忘れてはいけないのであろう。いろいろな有名な方々が老後を語っている。正直なところ、そんな書籍を読んだことはない。ベストセラーにもなっているらしいが、なぜか興味を持てない。何かが違うと感じる。一見、誰もが納得出来る内容。誰もが支持できる話。そう、そんな話には落とし穴が隠れている。

 そう、これだけは言える。

 波動の世界は、“すべての人の未来”に続いている。

 波動の世界は、それを選んだ人にしか教えない、知ることのない“人の行先”。

 当然、誰一人と知る者はいない。即ち、理解するかしないかは、いつの間にか“信じる信じない”の世界に陥る。大切なのは事実。何もしない人生に“心地よさ”さえを、感じている自分がいないだろうか。「老後」という言葉に潜む“落とし穴”に気づく者は数少ないのだろう。気づかぬとも選べば良い。

 老後などという、まるで呪文のような言葉。

 老後という言葉を、必要としていない人たちもたくさんいる。その事実に目を向けることからでも始めれば良いのだろう。なぜなら、幾つから始めても遅くはないのだから。

 大切なことは、自分から「老いることを優先させる」、それだけを止めれば良い。

 始めよう、60からの人生。

 60歳は人生の分かれ道。とても大切な瞬間! 

 終わるか始まるかは自分次第。

 私は、一生現役。

 

  ≪束縛と生き甲斐≫

 働き続けた人生。働くこと以外はあまり知らなかった人生。働くこと、即ち束縛。何もかも我慢していた。白も黒もない生活。正しいことも間違いも、束縛の社会には通用しない。通用すると信じ、飛び出した者もいたが、成功したとは聞かない。束縛に耐えることが“大人の生活”とさえ考えたこともある。生きるとはそういうもの。そう、信じるしかなかった“仕事生活”、何もかもが“理不尽な”仕事生活。

 家族を育てるために、子供を立派な大人に。

 自慢の子供。自分の人生の夢も生き甲斐もそこにあったから我慢できた。

 生き甲斐?

 真剣には考えてはいない。そう、趣味の一部か旅行と同じ。それなりに旅行には行ったし…定年になれば…まずはゆっくりと夫婦水入らず。趣味にも手がつけられる。旅行も休みを気にする必要はないのだ。楽しい。楽しいはず。こんなものだろう。皆、こんなもん。普通の生活。

 

 束縛されることに慣れ親しんだ人生には、束縛から解放されることだけが夢であり、目標であった。その先に楽で、楽しい人生がある。第二の人生のスタートはそれから考えることと、何気なく思っていた。

 束縛が、気づかぬうちに生き甲斐に変わっていた自分に、いつまでも“さよなら”が言えない自分。何も気づいてはいない自分は、まだいない。

 「束縛が生き甲斐」である自分に気づかぬうちは、生きる目的も目標も、考えたところで何の意味が生まれるのであろうか。言葉だけが独り歩きするだけ。

 「束縛が生き甲斐」…このままでは?

 

 人生、定年が終わりではありません。スタートでもありません。でも、人生のターニングポイントではあります。この瞬間を本当に大切にするには、一息している場合ではありません。誰でも休息は必要ですが、同時に楽することを“より好きな自分”が潜んでおります。一旦、楽することを覚え過ぎると元には戻れません。知らぬうちに、自分の思考環境を変えてしまいます。

 誰も知らぬ「気力」の世界!

 気力とは、気の世界の出来事です。当然、気の世界から考える正確な理解が必要ですね。老後の気力を支える、重要な要素が「生き甲斐の選択と理解」にあります。つまり、生き甲斐とは、老後の人生の先行きを決める、最も重要なファクターと言えます。より高次元の選択が、より豊かな生活と結び付き、健康の要素にさえ左右しかねません。

 

 

     ≪一生現役の心と気力≫

 80でも、90になっても現役。

 でも、気持ちだけではダメ。初めて就職をしたときから、仕事は大変なものと理解していたはず。さすがに、年と共に要領よくなっていた自分。「いまさら苦労は」とは、思ってしまう、「ここまで一生懸命に働いてきたのだから、これからは・・・・」と、考えがち。

 では、あえて聞こう?

 人生にも定年があるのか? 健康にも定年があるの? 若さにも定年があるのか? 定年を認めるのであれば、老いも仕方ないが。

 知らないだろうが、気力一つで何もかもが変わる。知識力の差以上に大切な気力。実は、気力は能力なのだ。気力が能力であると知ると、能力としての取扱いを考えなければならない。でも、その取り扱い方を知る人は皆無なのだろう。誰も知らないからと言って、事実が変わるわけもない。皆が知らないからと言って安全で快適な人生が、待ち受けている人はとても少ない。少ないというより、選び方を知らないのだろう。なぜ、これほど多くの介護の必要な人が増えているのか、本当に真剣に考えている人は、皆無に等しい。まだまだ、他人事と認識している人がいかに多いのか知る由もない。でも、はっきりと言おう。

 介護の必要性と気力の必要性は、とても共通している。

 気力について学問的な理解は、それほど重要ではない。気力を“何より大切”にするだけでも良いからだ。

 世の中には、この私の言葉が邪魔になる人も多いのだろうが、老いと交換できる人は少ないだろう。

 昔、初めて沖縄を訪問した時に現地の人が言っていた自慢話が、今でもはっきりと記憶に残る。

 「ここの島の人は、全員現役だ。病院や施設には誰も行っていないよ。それがここの人の自慢なのです。」

 私は、細かく色々と分析をしてみた。そして、実験も進めていた。皆さんも考えてみると良いでしょう。そして、自分の分析が正しいか間違いかは、自分の人生で確かめることが出来るのだから。

 

 

                  ~つづく

 

 ※~記載予定のメモ~

 ≪他人の悪口と亭主の悪口≫

 (悪口でしか自分を正当化できない人達症候群!)

 (生き甲斐は他人の悪口と言う、とても恐ろしい病状~悪口症)

 

≪病気の人には病気の考え方がある≫

 (病は気のせいではなく、病を作り出す気と考え方の関係にあった。)

 (考え方は人間の思考や行動を支配している。)

 

 

≪優しさは生き抜く力≫

 (優しさは能力、易しさは人の本能(本能寺の戦い!)

 (性格の悪さは認知症への近道)

 (社会の常識を歪ます、意地悪じじばば!)

 最近、性格が悪い年寄りが増えている。このことと介護が増え続けている事実と無関係ではない。

 小学生が証言した確信の事実!~我が家の花壇の花の敵は、向いに住むじじばば